子どもの問題として、ゲームスマホ依存に向き合ってみると、
結局、自分自身の在り方の問題点が見えてきました。
いわゆる毒親だなと我ながら思います。
大きく4つの問題点が浮かびました。
①常に何かしなきゃいない、
こうでなきゃいけないという思い込み。
振り返ると、自分が子どもの頃よく聞いていた言葉。
母親の姿勢、口癖。
そして70代になった今でも...
「あれしなきゃ、これしなきゃ」
「こうしなきゃ、がんばらなきゃ」
って言っている印象があります。
何かチャレンジし続けなくてはいけない、
「〜しなきゃ、〜すべき」思考がとても強く育ったと思います。
今思うと、
頑張ることが良しとして、そして成長した昭和の時代だけど、
令和の時代は、また違う。
そう、変化している。
その変化についていけず、自分の価値観を良かれと思って。
子どもに押し付けてしまったのと思う。間違いなく。
すごーく有名な名言に、
スマホやゲームのやり過ぎは本当に悪?
不登校っていけないこと?
自分の価値観を子どもに押し付けてない?
だいぶ多様性で不確実な事が多くなった世の中。
親からの学びを受け継ぎつつ、
時代の変化に合わせて進化させていく必要がある。
②勉強することが当たり前だと
思っていた。
自分が小さい頃、特に勉強しろとも言われず、
勉強も嫌いでなく、やったらちゃんと成果に現れ
面白かった印象があります。
そして、子どもながらに、うちは裕福ではないということを
クラスの周りと比較しても、自覚していました。
でも、それは親が贅沢して、
子に我慢させていたわけでもないし、
できることをやってくれていたという感謝はありました。
また両親とも高卒で、自分は大学まで行って、
暮らしを良くしたいっていう想いも持っていたのも
覚えています。
だから、学ばなきゃいけないし、
学べることはありがたいと本気で思っていました。
そして、それが自分の当たり前、
子どもたちも同様に自分の将来のために、
学んでいくものと思い込む。
当時1万円札でもあった福沢諭吉。
学問のすすめの考え方もすごく賛同していました。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
人間平等で、その後は学問で差が生まれる。
逆に学問を収めていくことで、自由にもなれる。
勉強することが、
人生をより豊かにするために必要なことだと
信じて疑ってもありませんでした。
勉強そっちのけでゲームやスマホ見たりの我が子が
不思議で、なんで??という気持ちは人一倍強かったとも思います。
(旦那も同様で、勉強するのが人生の選択肢も広がり
当たり前という夫婦揃っての感覚でした。)
これは、学校や外では子どもなりに頑張っている。
家でもガミガミ勉強のことを
言いすぎたのだと思います。
子どもを無条件に愛し、
この子は大丈夫と信じる。
家ではゆっくり休めるようにしてあげたらよかった。
人間色々、勉強が苦手な子もいる。
得意や長所を伸ばしてあげたらいい。
自分が勉強や学ぶこと好きだからといって、
子どもに押し付けない。
③母親となり、子ども最優先の生活。
自分が無くなった。
子どもが生まれて、とても嬉しく、なんともかえがたい感動体験。
一方で、出産後は一変。
3時間置きのでもなく、昼夜関係なくなき授乳生活。
赤ちゃんは可愛いけど、子育てってこんな大変だったんだ。
誰からも教えてもらわなかった子育て生活に衝撃。
これまでとは一変、自分の時間が全く無くなる。
ゆっくり寝た気がしない。
食事もままならない。
母乳の時は、食事制限で自分の食べたいものも我慢することも。
初めての子育ては、鬱になりそうなくらい、お先真っ暗衝撃でした。
でも大変ながらも同年代の赤ちゃんを育てるママ友と出会い、
一緒にお出かけしたり、悩みを相談することで少しずつ変わってきました、
旦那の転勤に伴い、育休中に退職。
育児に専念する。
子育てを頑張ることが自分の使命だと思っていました。
完全に子ども最優先。
自分は後回しの生活が定着しました。
仕事も辞めたし、家事や子育て中心。
それでもよしだと思っていました。
でも、どこか物足りない日々。
1日の中で会話する大人が旦那だけの日も。
どこか、承認欲求が満たされないことにも気づきます。
子どもが成長し色んなこと事ができるようになることが、喜び。
望んでもないのに、体験をさせてみるとか。
親のエゴあったと思います。
子どもと自分は別人格。
尊いもの。自分が支配できるものではない。
子どもとはいえ、別の一人の人間だということを忘れない。
子どもの自立、自律のためにも、
先回りし過ぎずないで見守る。
子どもの話を聞く。
失敗も沢山させる。
子どもにこれだけ時間かけてるから、
良い子に育つだろうと期待し過ぎた。
子どもはそれが返って重荷に。
子育ても大切だけど、
それよりも自分を大切にする。
④母親の役割をこなす事に集中しすぎた。
7つの習慣では、誠意・謙虚・誠実・勇気・忍耐など
人間の内面にある人格的な部分を磨く「人格主義」でしか
ビジネスも家庭も真の成功は得られないと言われています。
それに対して、
自分は目の前の母親の役割を果たすことに集中した
生活だったと振り返ります。
子どもの支度や用事に追わればあっという間の毎日。
自分の時間も取れず、なんだか疲弊。
子どもの笑顔が一番のご褒美になっていて、
子どもが何かうまくいかない事があると、
自分も一緒に落ち込んでしまう。
あれれ?なんかおかしい。
子どもも、親の過干渉で潰れてきている。
自分って本当は何がしたいんだっけ?
何のために大学まで出たんだろう?
お互いのためにも母子分離したほうが良さそう。
子育てから距離をとってみると、
自分らしく、自分の人生生きるって何だっけ?
なんて、40代である今更だけど、考えています。
7つの習慣にもあるように
自分にとって大切な信念、原則に基づいて、
人生最後に死んでお葬式で家族からなんて言われたいか。
友人や社会からどう思われていたいか。
そこから人生のゴールから逆算して、
自分の在り方を考えてみようと思います。
スマホやパソコンの急激な普及やコロナ、地球沸騰化など、
様々な変化の多い子育て世代。
いつ何が起こるかわからない時代。
明日死ぬかもしれない。
そんな死ぬかもしれない時に、
勉強しろとガミガミ子どもに言ってたなんて後悔したくない。
明日死んでも後悔のない
心のあり方でいたいなと思いました。
子どもの様子をきっかけに、
自分を見つめるきっかけとなり、子どもに感謝です。
いくつになってもやり直しはできる。
しっかりと自分に向き合っていきたいと思います。
そして、これが人生なんだろうな〜と思います。
今の悩める自分も自分にとって必要な出来事。
これからの未来につながると思っています。
同じようなきもちの世代の子育て主婦の方も
少なからずいると思います。
一緒に無理せず頑張っていきましょうね〜